登山以前
[Japanese only]
[きっかけ]
「キナバル山に登りたい」と本格的に思い始めたのは、2000年6月のことだったと思う。会社のローカルメンバーの誘いで、陸路、タイのハジャイという町に観光に行った時のことだ。マレーシアとタイの国境を越える少し手前の旅行社で、入国審査書類を手に入れ両替をしたのだが、その旅行社の壁に貼ってあったキナバル山のポスターに魅入られてしまったのだ。
ポスターのキナバル山は、広い岩畳が隆起して鋭い頂きを形成し、マッターホルンを彷彿させる容貌を持っていた。「登りたい」…そう思った。「東南アジアで一番高い山」、富士山を凌ぐ「4095m」、あの岩畳には残雪があるのだろうか…高山植物は咲いているのだろうか…「登りたい」。日本でも10座ほどの3000m級の山に登ったことがある Kanao の心は、既に冷たく澄んだ高山の大気の中で踊っていた。
その後、日常生活の忙しさに感けて、キナバル山の話は後回しになっていた。しかし、マレーシアでの生活も丸三年を過ぎ、何時、帰国命令がでるかもしれない。そんなころ、発行された1リンギット札にはキナバル山が印刷されていた。その、青い新券を見ながら、Kanao は思った。「今決めなければ、一生、登ることは無いかもしれない」。
幸い、会社の同僚にはアウトドア派のロビー氏が居た。仕事もできるが、アウトドアでは無敵の実力者である。彼が一睨みすれば魚は川から飛び出して自らまな板に上がり、枯れ木は発火して湯を沸かし始めるという。彼が同行してくれれば、キナバル登頂は成功したも同然だ。Kanao は言った。「一緒にグノン(マレー語で山のこと)・キナバルに登りましょう!」。BGMは当然、「地上の星」である。
[準備開始]
東マレーシアはモンスーン気候である。3月頃までの雨季にこの登山を決行するのは命取りだ。晴天率の良いベストシーズンの7月にターゲットを絞る。なお、この季節、キナバル山の山小屋は予約が混んでいる。早めのの予約をお薦めする。「よし、決行はは7月だ!」。最初に登山を思い立ってから、1年半の歳月が流れていた。半年にわたる大プロジェクトの始まりである。
1月27日、今回の登山で使う靴を購入。マレーシアで本格的な山に登るとは思わなかったので、登山靴は日本の倉庫の中だ。ペナンにもトレッキング用の靴はいろいろ売っているが、防水の物がなかなか見つからない。最後はプラザ・ガーニーのティンバーランドで発見。これはなかなか調子が良い。
ザックは日本から持ってきた容量35Lの物がある。熱帯雨林の中を歩くことがあるかもしれないとザックカバーも持ってきている。しかし、問題はウインドブレーカーを兼ねた雨具だ。結局ペナンでは最後までろくな物が見つからず、ゴワゴワの重たい物をしぶしぶ購入。ロビー氏はしっかり日本でゴアテックスの快適な雨具を入手していた。ちなみに、隠す気はなかったのだが、ロビー氏は日本人である。
2002年4月、登山準備を本格的に開始。まず、初バーディーを取ったのを機にゴルフから足を洗う。翌週、アイランド・ホスピタルで健康診断。結果は良好。心電図も異常なし。タフなトレーニングにも耐えられそうだ。平日の深夜残業、休日出勤が目白押しの中、トレーニング開始を決意する。
脚力、心肺機能を高めるため、休める休日には極力、テニス、13階のコンドミニアムの階段昇降を繰り返して汗を流し、プールで筋肉をほぐす。最初は2往復程度で膝が笑った階段昇降も、回数を経るにつれ普通にこなせるようになり、途中からペットボトルを詰めたデイパックを背負って行えるまでになった。休みが取れないときには平日のスクワットと腹筋をメニューにした。
[小手調べにペナン・ヒルに登る]
5月24日、実践的なトレーニングをと、ロビー氏を誘いペナン・ヒルに登る。デジタルカメラの新鋭機、ニコンE5000用に特注で作ったレンズプロテクターがぎりぎり間に合った。ペナン・ボタニカル・ガーデン横の登山口からアスファルトの急坂を登る。新調した靴の調子は良い。
マレーシアで山に登るのは初めてのことなので、虫やヒルが心配だった。そこで、ペナン・ヒルの登山道はいろいろあるが、敢えて一番整備されているルートを選んでみた。しかし、これは失敗だったかもしれない。何より、面白くない。全然展望の無い熱帯雨林の中を、汗まみれになりながら登る。暑い。そして、辛い。
結局のところ、山頂までは2時間ほど。距離にして5.1km。これだけでは物足りないので、ロープウェーの駅を通り過ぎさらにサミット・ロードを歩く。アイル・イタムのダムに抜ける道があるはずだ。そこから極楽寺に降りてタクシーでも拾うこととしよう。
山頂の喧騒から離れると、なかなか良いハイキングコースだ。行けども行けども山道が続く。美しい蝶が飛び交い、不思議な蝉の音が鳴り響く。ロビー氏がウツボカズラを見つけて Kanao に見せてくれる。さすがはアウトドアの達人、Kanao とは目が違う。
しかし、変だ。何時まで歩いてもアイル・イタムのダムに出る気配が無い。さすがにおかしいと感じ始めたころ、突然現れたのがこの看板。この先は軍の敷地で、立ち入り禁止らしい。さすがに、射殺されたくは無い。こんな立ち入り禁止区域があるなんて、どこにも書いてなかったぞ。
しばし呆然とするロビー氏と Kanao。しかし、ここペナン・ヒルはかのペナンの達人クXXXン氏も道に迷ったという魔の山である。ろくに下調べもせずに登ってきた二人が予定外の場所に行きついたのも当然かもしれない。ようやく気を取り直した二人は、看板の下で持ってきた握り飯を食べ、元来た道を引き返すことにする。ようやく山頂まで戻った二人に、例のアスファルトの道を歩いて下山する元気は残っていない。ケーブルカーで降りることにする。
[本番に向けて最終調整?]
ペナン・ヒルで実践的な山道を長時間歩く自信がついた。キナバル山だって、一日に実質歩く時間はそんなに長いわけではない。空気は薄くなるかもしれないが、その分、ペナン・ヒルのように暑いわけではないはず。ざっと3000mの標高差は、20℃ぐらいの気温の差になるはずだ。むしろ寒いだろう。
6月、体調を崩し気味でトレーニングが思うようにできない。体を動かせる週末に何とか階段昇降を続ける。はっきり言って、つまらないが、これをやっておかなければ、当日、後悔することになることは、日本での経験で知っている。それでも、結果的には、十分なトレーニングでなかったことはキナバル山で明らかになったのだけれど。
装備の再確認。登山道には避難所が多く、ツェールトは必要ない。防寒具としてセーターと雨具、非常食料とペットボトル、これらを入れられるザック、ザックカバー、下着の替え、タオル、歯ブラシ、ナイフ、方位磁針、非常時用の笛、信頼性の高いトーチライト。そしてカメラ。新鋭機デジタルのニコンE5000のみ持っていくことにする。予備に単三バッテリーホルダーを新調。高価(泣)だが、高地では気温が下がり、バッテリー寿命が短くなる。予備バッテリーは必須。山において、バッテリーの切れた電気カメラはただの重りでしかない。
さて、あとはコタ・キナバルに向かって飛び立つばかりだ。約6年ぶりの山らしい山。体力は持つだろうか?